「How To Get Rich (without getting lucky)」に関するインタビューをまとめたものの翻訳のパート2になります。原文が長いため、いくつかのパートに分けています。原文は、テック業界外の人々を含む幅広い層に共感を呼びました。それは、普遍的な富への欲求に触れ、それを達成するための原則を提供しているからです。
運が必然となるよう、自分の人格を築く
二ヴィ: 最初に説明された3種類の運については、誰もが知っているような一般的な決まり文句がありますね。しかし、あなたの独特な行動から生まれる最後の種類の運については、特に決まった言い回しがないのが興味深いです。
最初の3種類については、次のような言い回しがあります。1つ目の運には「まぐれ(dumb luck)」や「盲目的な幸運(blind luck)」があります。2つ目の運には「運は大胆な者に味方する(fortune favors the bold.)」という言葉があります。これは行動を起こすことで幸運を引き寄せる人のことです。3つ目の運については、「備えあれば憂いなし(chance favors the prepared mind.)」と言われます。
しかし、4つ目の運については、あなたの独特な行動に合致するような一般的な言い回しがありません。これは興味深い点であり、また機会でもあります。同時に、人々がこの種の運を十分に活用していない可能性を示唆していますよね。
ナヴァル: その段階になると、もはや運というより決定論的なものになっていくのだと思います。つまり、運という定義が薄れて、むしろ運命に近づいていくのです。4つ目の運については、次のように表現できるでしょう。特定の方法で自分の人格を築き上げ、その人格が自分の運命となるのです。
金銭を得る上で重要なことの一つは、人々があなたを通じて取引をしたいと思うような評判を築くことです。例えば、優れたダイバーであれば、宝探しの人々があなたのダイビング技術を求めて、宝の一部を分け与えてくれるでしょう。
信頼でき、高潔で、長期的な視野を持つ取引の仲介者として知られていれば、他の人々が見知らぬ相手と信頼できる方法で取引をしたいと考えたとき、あなたに直接アプローチし、取引の一部を分け与えたり、ユニークな取引の機会を提供したりするでしょう。これは、あなたが築き上げた誠実さと評判によるものです。
ウォーレン・バフェットは、その評判によって他の人には得られない特別な機会を手にしています。企業の買収や新株予約権の取得、銀行の救済など、独自の取引を行うことができるのです。
しかし、このような立場は当然ながら脆弱でもあります。常に説明責任が伴い、強力なブランドが危険にさらされる可能性があります。後ほど詳しく話しますが、こうした立場には必ず責任が付きまとうのです。
ですが、自分の人格や評判は、意識的に築き上げることができるものです。そうすることで、他の人から見れば「幸運」と思われるような機会を活かせるようになります。しかし、そこには運だけでなく、自分の努力が大きく関わっていることを認識しているでしょう。
ニヴィ: あなたは、この4つ目の運は、ほぼ運命のようなものだとおっしゃいました。マークのブログ記事に掲載されていた原著からの引用で、イギリスの元首相であるベンジャミン・ディズレーリの言葉があります。この種の運を表現するのに、「私たちは自分で運を作り出し、それを運命と呼びます」という言葉が使われていました。
ブログ記事では、この4つ目の運について、他にも興味深い点がいくつか言及されていました。リスナーの皆さんにも知っておいていただきたいのですが、この第四の運は、物事に対する風変わりなアプローチから生まれることがあります。そして、この場合、風変わりであることは必ずしも悪いことではありません。実際、それは良いことなのです。
ナヴァル: そのとおりです。世界は非常に効率的な場所なので、誰もが明らかな場所をすべて掘り尽くしています。そのため、新しく斬新で未開拓のものを見つけるには、最前線で活動することが役立ちます。
最前線で一人でいるには、少し風変わりである必要があります。そして、単に興味があるという理由だけで、他の人よりも深く、合理的に思えるよりも深く掘り下げる意欲が必要です。
二ヴィ: はい、このような種類の運を表現している引用として、ベンジャミン・ディズレーリのものに加えて、私が見たことがある2つの引用があります。1つはサム・アルトマンの「極端な人は極端な結果を得る」というもので、これはとても良い表現だと思います。もう1つはスタンフォード大学の教授であるジェフリー・フェファーの「普通であることを期待して異常なリターンを得ることはできない」というものです。これも私はいつも気に入っています。
ナヴァル: そうですね。私が好きな引用で、それとまったく正反対のものがあります。「愚かなゲームをすれば愚かな賞品を得る」というものです。多くの人が、Twitterのような社会的なゲームに多くの時間を費やしています。そこでは社会的地位を向上させようとしていますが、基本的に価値のない愚かな社会的賞品を獲得しているだけです。
二ヴィ: この記事から最後に取り上げたいのは、特に最後の種類の運、つまり単純な偶然以外のすべての運を追求することで、基本的に不運がなくなるという考えです。つまり、状況を常に動かし続けることで、それだけで不運がなくなるということです。
ナヴァル: そうですね。あるいは、単に平均への回帰かもしれません。少なくとも運を中立化することで、自分の才能が発揮される状況を作り出せるということです。
時間を切り売りしている限り、非線形的な収入は得られない
時間を切り売りしている限り、非線形的な収入を得ることはできません。つまり、時給や給与といった形で時間を売っているだけでは、大きな富を築くことは難しいのです。
裕福になるためには、時間と収入が比例しない方法を見つける必要があります。時間単位の報酬という制約から抜け出し、非線形的な収入を得る方法を模索することが重要です。
二ヴィ: 次に、実際に裕福になる方法と、裕福になれない方法についてより具体的な詳細に入っていきます。最初のポイントは、裕福になれない方法についてでした。「時間を切り売りしても裕福にはなれません。経済的自由を得るには、エクイティや事業の一部を所有する必要があります。」
ナヴァル: これはおそらく最も重要なポイントの一つです。多くの人は、仕事を通じて富を築き、お金を稼ぐことができると考えているようです。しかし、それはおそらく上手くいきません。その理由はいくつかあります。
最も基本的な理由は、投入した労力と得られる成果が密接に結びついているからです。ほとんどの給与制の仕事では、弁護士や医師のような高時給の職業でさえ、時間を投入し、その時間に応じて報酬を得ています。
そのため、次のような状況では収入が得られません:
また、非線形的に稼ぐこともできません。
本当に裕福になった医師を例に挙げると、彼らが裕福になれたのは事業を始めたからです。例えば、個人診療所を開業します。その診療所がブランドを構築し、そのブランドが人々を引き付けます。あるいは、医療機器や治療法、知的財産を伴うプロセスなどを開発します。
要するに、次のように言えます:
他人のために働く場合、その人がリスクを負い、責任を持ち、知的財産やブランドを所有します。そのため、彼らはあなたに十分な報酬を支払わないでしょう。彼らは仕事をこなすのに必要な最低限の金額しか支払わないのです。その最低限の金額が高額であっても、退職後も安泰というような本当の富には至りません。
さらに、実際のところ、社会に対して独創的なものをそれほど生み出していないのです。先ほど述言ったように、この一連のツイートは「富を創造する方法」と呼ばれるべきでした。「お金持ちになる方法」の方がキャッチーなタイトルだったというだけです。しかし、社会のために新しいものを創造しているわけではありません。ただ同じことを繰り返しているだけなのです。
定められた役割を果たしているだけなので、本質的に代替可能な存在となってしまいます。ほとんどの定型的な役割は教えることができます。学校のように教えられるものであれば、いずれは最新の知識を身につけた新しい人材が入ってきて、その人に取って代わられる可能性が高くなります。
また、ロボットやAIによっていずれ代替される可能性が高い仕事に就いている可能性も高くなります。一夜にして完全に置き換えられるわけではありませんが、少しずつ代替されていく可能性があります。そうなると、富を生み出す力が徐々に失われ、結果として稼ぐ能力も低下していきます。
つまり、根本的に言えば、投入した労力と得られる成果が釣り合っているだけで、代替可能で、創造性を発揮していないのです。このような方法では、本当の意味でお金を稼ぐことはできないと考えます。
本当にお金を稼ぐ人は、どこかの時点で製品、事業、あるいは何らかの知的財産の一部を所有しています。これはストックオプションを通じて行うこともあり、テクノロジー企業で働くのも良い始め方です。
しかし、通常、本当の富は自分で会社を立ち上げたり、投資家になったりすることで生み出されます。投資会社に所属してエクイティを購入するのも一つの方法です。これらの方が富を築く道筋としてはるかに有効です。労働時間だけでは富は生まれません。
ここで重要なのは、インプットとアウトプットが一致しないような仕事やキャリア、職業を選ぶことです。現代社会を見てみると、創造性が高く、レバレッジの効いたビジネスほど、わずか1時間の仕事で大きな効果を生み出せる可能性があります。一方で、1000時間働いても何の効果も生まなかったりします。
例えば、ソフトウェアエンジニアリングを考えてみましょう。優秀なエンジニア1人が、ビットコインのような何十億ドルもの価値を生み出すものを作り出すことがあります。一方で、適切でないプロジェクトに取り組んでいたり、能力が少し劣っていたり、創造性や思慮深さに欠けるエンジニアの場合、1年間働いても、作成したコードがまったく使われないということもあります。顧客が求めていないものだったからです。
これは、インプットとアウトプットが大きく乖離している職業の一例です。投入した時間の量に基づいているわけではありません。
一方、極端な反対の例として、木こりの仕事を考えてみましょう。道具を使わないと仮定すると、世界最高の木こりであっても、インプットとアウトプットは明確に結びついています。単に斧やのこぎりを使うだけです。世界最高の木こりでも、最も技術の劣る木こりと比べて、せいぜい3倍程度の効率しか出せないでしょう。つまり、そこには大きな差は生まれないのです。
インプットとアウトプットが大きく乖離している職業やキャリアを探すことが重要です。これは言い換えれば、レバレッジの効く仕事を探すということです。ここでいうレバレッジとは、ウォール街が使用する金融的なレバレッジだけを指すのではありません。むしろ、ツールの活用を意味しています。
ソフトウェアエンジニアにとって、コンピューターはツールです。同様に、ブルドーザーや自動ロボット式の斧、のこぎりを使用する木こりは、素手で木の根を引き抜こうとする人よりも多くのツールを使い、より大きなレバレッジを持つことになります。
ツールとレバレッジがインプットとアウトプットの乖離を生み出します。創造性が高い職業ほど、インプットとアウトプットの乖離が大きくなる傾向があります。
したがって、インプットとアウトプットが密接に結びついている職業では、自分自身のために富を築くことは非常に困難だと考えられます。そのような環境では、富を創出し蓄積するプロセスが極めて難しくなるでしょう。
生活水準の向上に関心のある人には、この自由が理解できない
二ヴィ: 時間を切り売りすること以外に、避けるべき大きなことはありますか?
ナヴァル: はい、関連する2つのツイートがあります。1つ目は、ライフスタイルのアップグレードについてで、あまり急速に行うべきではないという内容です。そのツイートでは基本的に、質素に暮らしている人々は、生活水準の向上に忙しい人々には想像もつかないような自由を楽しんでいると述べています。
そして、ライフスタイルを常にアップグレードしないことは非常に重要だと考えます。自由を維持するためです。それは行動の自由を与えてくれます。基本的に、少しお金を稼いだとしても、以前と変わらない水準で生活し続けるでしょう。そうであれば。心配事は消えていきます。ですから、急いで家や生活様式、その他のものをアップグレードしようとしないことです。
時給1,000ドルを稼ぐとしましょう。問題は、そのような仕事のライフスタイルに入る際、時給20ドルから突然1,000ドルになるわけではないことです。これは長いキャリアを通じての段階的な進展です。
そして、そうなるにつれて、些細な問題の一つは、収入が増えるにつれてライフスタイルもアップグレードしてしまうことです。このライフスタイルのアップグレードは、富と考えるものの基準を引き上げ、結果として給与に縛られた罠に留まり続けることになります。
誰が言ったか忘れましたが、おそらくナシーム・タレブだったと思います。彼は「最も危険なものはヘロインと月給だ」と言いました。なぜなら、それらは非常に中毒性が高いからです。本当の意味で裕福になるためには、質素な生活を送りながら、働き続けることが重要です。
これは、例えばテック業界の仕組みと言えるでしょう。10年間ほとんど収入がなくても、11年目に突然大きな収入を得る可能性があります。
これは、いわゆる富裕層に対する非常に高い限界税率が問題を抱えている理由の一つでもあります。最もリスクが高く、創造的な職業では、文字通り人生の10年間にわたって損失を被り続けます。その間、巨大なリスクを負い、出血し続けるのです。
そして突然、11年目か15年目に、一度だけ大きな収入を得る可能性があります。しかし、そのとき当然ながら税務署が現れ、基本的にこう言うでしょう。「ねえ、今年あなたは大金を稼ぎましたね。だからあなたは金持ちです。つまり悪人なので、全部私たちに渡さなければなりません。」このような対応は、創造的でリスクを伴う職業を破壊してしまうのです。
しかし理想的には、長期間にわたって断続的にまとまった収入を得ることが望ましいでしょう。そうすることで、自分のライフスタイルが急速に変化する機会を抑えられます。そして基本的にこう言えるようになります。「よし、これで終わりだ。もう引退できる。自由になれた。人生何かしなければならないから仕事は続けるけど、自分がやりたいことを、やりたいときにだけやろう。」このようにすれば、創造的な表現の機会が大幅に増え、お金のことを考える必要が少なくなります。
社会が欲しがるものを創造し、大規模に提供すれば、社会はそれに対価を支払う
二ヴィ: 時間を貸し出すだけでは裕福にはなれません。しかし、あなたは「社会が欲しがっているものの、まだ大規模に手に入れる方法を知らないものを提供することで裕福になれる」と言っていますね。
ナヴァル: その通りです。以前話したように、お金は社会からのIOUのようなものです。「過去に良いことをしてくれたね。これが私たちがあなたに将来的に借りているものだ」というメッセージです。つまり、社会は自分が欲しいものを作り出してくれる人に対価を支払うのです。
ただし、社会はまだそれらのものを作り出す方法を知りません。もし知っていたら、あなたを必要としないでしょう。すでに大量生産されているはずですから。
ほぼすべてのもの、家の中にあるもの、職場にあるもの、そして街にあるものは、かつては技術革新の産物でした。石油が新技術だった時代があり、それがJ.D.ロックフェラーを裕福にしました。自動車が新技術だった時代もあり、それがヘンリー・フォードを裕福にしました。
つまり、アラン・ケイが言ったように、技術とは「まだ完全には機能していないもの」の集合体なのです(訂正:ダニー・ヒリス)。いったん何かが完全に機能するようになると、それはもはや技術とは呼ばれません。そのため、社会は常に新しいものを求めているのです。
裕福になりたいのであれば、社会がまだ手に入れる方法を知らないけれども欲しがるであろうもの、自分にとって自然で、自分のスキルセットや能力の範囲内にあるものを見つけ出す必要があります。
そして、それをどうスケールさせるかを考えなければなりません。ただ一つ作るだけでは十分ではありません。何千、何十万、何百万、あるいは何十億という単位で作り出す必要があります。そうすることで、誰もがそれを手に入れられるようになるのです。
スティーブ・ジョブズとそのチームは、社会がスマートフォンを欲しがるだろうと見抜きました。ポケットに入るコンピューターで、従来の電話機能の100倍の能力を持ち、しかも使いやすいものです。彼らはそれをどう作るかを考え出し、そしてどうスケールさせるかを考え出しました。
彼らは先進国のすべての市民のポケットに、そして最終的には発展途上国の市民のポケットにもスマートフォンを届ける方法を見出しました。その結果、彼らは多大な報酬を得て、Appleは世界で最も価値のある企業となりました。
二ヴィ: 私が以前言おうとしてたことですが、「起業家の仕事とは、ハイエンド製品を大衆市場にもたらすことだ」ということでもありますね。
ナヴァル: つまり、ハイエンド製品から始まります。ようは、まず創造の行為から始まりまるということです。最初は自分が欲しいから作るのです。自分が欲しくて、作り方を知っていて、必要だから作るのです。そして自分のために作ります。次に、それを他の人々に届ける方法を考え出します。そして、しばらくの間は裕福な人だけがそれを手に入れることができます。
例えば、かつては裕福な人だけがお抱え運転手や高級車を利用していました。しかし、Uberが登場し、誰もが個人専用ドライバーを利用できるようになりました。現在では、Uberプールがシャトルバスに代わる便利な選択肢となっています。さらに、電動スクーターのシェアリングサービスが登場し、より手軽な移動手段として普及しています。つまり、以前は裕福な人々だけが享受できたサービスを、誰もが利用できるようにすることが重要なのです。
しかし、起業家の仕事はそれ以前の段階、つまり創造の段階から始まります。起業とは本質的に、ゼロから新しいものを生み出す行為です。社会がそれを求めるであろうと予測し、それをどのように拡大し、採算の取れる持続可能な方法で多くの人々に届けるかを考え出すのです。